Questions & Answers

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よくある質問

ここでは、私の人生の中で真実かつ役立つことだけを述べています。下に続く質問には私の経験を通しての見識を回答にしています。どうか私がお役に立ちますように。

また、下記の中にも回答があるかもしれません。

Wisdom of the Peaceful Warrior
Living on Purpose
The Life You Were Born to Live
など、全著作


大学での体操選手、その後のコーチという仕事からどうやって自己啓発・精神世界の作家になれたのですか?


大学で体操競技をしている頃、どんなに一生懸命練習してもたった一人しか選ばれないという現実に打ちのめされました。ですが指導する立場で人をプラスに導ける、というアイディアが浮かび、その後の私の人生は大変意味深いものとなったのです。時をかさね、私の関心ごとはスポーツ界の才能を育てるにとどまらず、さらに大きな舞台へと変化していきました。そうです、『生きる才能』を育てる、ということです。私は世界中に飛び、人間が発展するシステムを勉強して回りました。


教えるとなれば書く技術・話す技術などコミュニケーションのスキルを磨く必要がありました。私は元来教師の性分でした。それは今も昔も変わりません。


私は『Way of the Peaceful Warrior』(癒しの旅―ピースフル・ウォリアー (ピースフル・ウォリアー)と『Sacred Journey of the Peaceful Warrior』(聖なる旅―ピースフル・ウォリアー (ピースフル・ウォリアー)に大変感銘を受けました。でも、どうやってこの教えを日々の生活の中に活用したらいいのかわかりません・・・。


私の1作目・2作目は人生を大局的に観ることや更なる可能性について書かれてあります。ただ、これら2冊は私のその後伝えたいことのほんのイントロにしかすぎません。その後9冊の作品を書き上げ、それぞれ異なる目的と内容が織り込まれています。1冊目で伝えたい教えが明確かつ膨らみをもって書かれています。


これらすべての本は、やすらぎの気持ちと勇者の精神を持って実生活を送れるようにわかりやすく実用的な内容を載せています。どの本もまるでパズルの1ピースとなって全体を造り上げるように、それぞれが違う局面を見せているのです。


Way of the Peaceful Warrior』(癒しの旅―ピースフル・ウォリアー (ピースフル・ウォリアー)は実際と比べてどのくらい本当なのでしょうか?ソクラテスは実在上の人物ですか?それともフィクションですか?


私は現実にある人に出会いました。それは1966年の12月、星の輝く夜中3時を回った頃、私は古いガソリンスタンドで働く一人の整備士に出会います。その姿が古代ギリシャの賢者ソクラテスを彷彿とさせることから、私は彼をそう呼ぶことにしたのです。その後発表した小説、”The Journeys of Socrates” 聖なる旅―ピースフル・ウォリアー (ピースフル・ウォリアー)では彼の身に起こった数々の武勇伝を書きつづっています。


私の最新著書『「魂の目的」ソウルナビゲーション―あなたは何をするために生まれてきたのか』では、これまでソクラテス氏と師の教えについて尋ねられてきた質問に対する回答を殆んどすべて網羅しました。私としては1作目と『「魂の目的」・・・』はお互い欠くことのできないセットとして考えています。ソクラテスがそもそも何を教えようとしていたのか深く理解できると思います。


当初からWay of the Peaceful Warrior癒しの旅―ピースフル・ウォリアー (ピースフル・ウォリアー)は私の自伝的小説だ、とはっきりと述べてきました(所どころフィクションとノンフィクションが混合していますが)。『自己啓発』『フィクション』と裏表紙にありますでしょう。まあ、仮にこの物がたりを『真実』だ、としましょう。ここで描かれたことはすべて事実だ、と。それか、真実ではない、としても良いですよ。あなたの毎日の生活にどんな影響を及ぼすでしょうか。ソクラテスが屋根のてっぺんに一足飛びに駆け上がる、とか、彼が一瞬私に手を触れると摩訶不思議な旅が始まること、とか。あなたの人間関係や日々の生活にこのエピソードがどんな影響を与えるのでしょうか。あなた自身が強く、優しく、賢くなるために奇跡の起こし方を教えてくれる人を探しているのではありませんか?じっくりと考えてみてください。



1冊目を読んで私は巷にある『生徒と先生』の物語をたくさん思い出しました。本を書いているとき、他の作品を参考にしましたか?


私は自分の師とさびれたガソリン・スタンドという日常の生活の中で出会いました。人生、文学、そして映画にはそんな生徒と先生の関係を扱ったテーマが溢れています。アーサーにはマーリン、フロドにはガンダルフ、ミッチにはモリー先生、ルーク・スカイウォーカーはオビワン・ケノービとヨーダがいたように。


Sacred Journey of the Peaceful Warrior』(聖なる旅―ピースフル・ウォリアー (ピースフル・ウォリアー)はどうでしょう?どのくらい事実に基づいているのですか?


Sacred Journey of the Peaceful Warrior』(聖なる旅―ピースフル・ウォリアー (ピースフル・ウォリアー))では、教えの核を伝えるという目的で極めて物語的口調で書かれています。ママ・チアという人物は私がこれまで出会った複数の尊敬する女性を複合して作り上げました。3タイプのキャラクターと人間の進化7段階を、それぞれのモデルを通して人生でのヒーリング、気づき、または他の観点を説明し、それを伝えるのがこの本の目的でした。


The Journeys of Socrates聖なる旅―ピースフル・ウォリアー (ピースフル・ウォリアー)ではソクラテスとあなたの関わり方がさらに詳しく描かれていますが、実際にあったことなのでしょうか?


私の描き方がリアルで現実味を帯びた作風となりえたこと心から嬉しく思っています。昔のことわざを拝借しましょう。『芸術は私たちに真実を見せるための嘘である』 ここではあまり細かに説明を加えるのではなく、この物語からあなたが何を聞き取るかにお任せしようと思います。どうぞ物語を堪能してください。そしてその謎の中に浸ってみてください。


あなたの書く作品では誰にでもわかる気取らない手法を取り入れ、複雑なキャラクターの起用を避けていますよね。その作風ゆえ、スピリチュアル業界からあなたの業績を軽く見られるという可能性はないのでしょうか?


読者が私と強力な結びつきを感じ、多くの方が作品の内容に共鳴されるのはまさにこのシンプルで『普通の』人間性が現れているからだと思うのです。


私の仕事は読者の皆さんに『私を信じてください』とお願いすることではありません。『自分自身を信じること』を学んでもらうことが私の使命だと思っています。評論家に『すごい!』と思わせるのが私の目的ではありません。あなたが心の中に持っていながら長いこと忘れてしまった大切なことを思い出すお手伝いをする・・・それが私の仕事です。


シンプルな表現とは必ずしも簡単であるとは限りません。実体を離れた抽象的な概念に息を吹き込む、という作業は時には極めて大きな努力を要します。抽象概念や高尚哲学をお好みの方は他にもたくさんの本がありますのでそちらを読んでもらえばいいのです。


どうしてソクラテスは時々あなたに心無い言葉を向けるのですか?


ソクラテスはよく『ちょっかい』を出してきては、私を苛立たせました。というのも私はすぐにつまらないことで腹を立てる傾向があったのでそれを教えてくれようとしていたのです。彼は多くの人を尊敬の念を持って接していました。いずれにせよ、彼には独自のスタイルがあり、私には自分のものがあります。時には否定や無気力で停滞している生徒を揺さぶって目を覚まさせることが教師にはあります。私としては尊敬と理解をもって教えるのがモットーだと思っていますが。


あなたはセミナーでお金を徴収していますが、精神的教えを販売することで非難されたことはありませんか?


私は本の印税と講演料で家族を養っています。いたって明白な仕組みです。お金は私にとって神でも悪魔でもありません。お金はエネルギーが形になったもので人生の自然な一部です。また、一人で暮らす人にくらべて家族と一緒に住む人の方がお金はより必要です。


私の著作『Everyday Enlightenment』という本にある章、『お金と精神性』を読んでいただきその問題について共に考えてみることをおすすめします。精神世界という背景でお金がどのように扱われているかがわかります。


私は作家でとても意欲に満ちています。そこでお願いがあるのですが私の作品を読んで感想とアドバイスを頂けませんでしょうか。このような手紙や要望に対してあなたは返答していますか?


時間が許す限り、さまざまな作家会議に時間を投資し指導することにしています。これまでマウイ、ホィッドビー島、またはウィリアム・サロヤン作家会議に出席し、ロンドン近郊にあるルートン大学では複数の文章クラスで講義をしました。


ただ、寄せられた作品の構成や文章を読んで感想をそれぞれに送るというのは私のスケジュール上困難です。ただし、とても意欲的な作家の皆さんにすでに手持ちの資料をお送りしたり、知り合いのフリーランス編集者にあなたの書きかけの文章を薦めて、感想やコメントを貰えるよう頼んだりするお手伝いは喜んで致します。


あなたの日常生活を教えてください。


普段は朝早く起床し、『安らぎの戦士』ワークアウトで1日の幕を開けます。そのワークアウトとは4分間の流れる動作と深い呼吸で構成されています。その次に30分ほどクロス・トレーニングをします。特にとりわけかっこいいというものでもなく、普通の適度なエクササイズです。


その後、頭部と身体にバケツ一杯の冷水をかけます。続いてしばらくの瞑想、そして朝食をとります。旅行に出ていない限りはメールの返答、またはその時々の課題や任務に手をつけて仕事にかかります。課題や任務というのはそもそも家族の一員としての仕事ということだったのですが、今では娘たちは成長して家を離れてしまいましたので、妻のジョイと私は自分たちのペースでこなし楽しんでいます。


個人的に『目覚めた人』になったと思いますか?


人生というのは瞬間の積み重ねです。よって、どの瞬間にあなたが私と接点があったかによるでしょう。あるときは明晰で慈悲深く、啓蒙されたかのように振る舞う私もいれば、またあるときはそれほどでもない、という具合です。


私の毎日をコンスタントに観察していただければ私がある種の成熟、規律、そしてバランスをそなえた性質であることをお分かり頂けると思います。自分が普段教えているすべてのことを完璧にマスターしたとは言えませんが、お手本となるように心を込めて練習を繰り返し指導にベストを尽くしています。


実際より誇張して申しませんし、実際より控えめに行動することもありません。


私の妻(そして子供たち)は私を教師として見ていません。人間ゆえ欠点もある一人の夫(そしてパパ)として見ています。このように申し上げると、私が『目覚めた人』かどうかという質問へのお返事としてもっと現実味を帯びてくるのではないでしょうか。人がどのくらい精神的に成熟しているかどうかは、その人が普段の一瞬一瞬をどのように過ごしているかを観察すること意外に判断することは出来ないのではないでしょうか。


どちらかの宗教団体に所属していますか?


私の祖父母はロシア・ウクライナ系のユダヤ人でしたが、育った環境は特に何の宗派にも流儀にも属していませんでした。私は自分自身で精神世界とのつながりを探さなければいけなかったのです。どの宗教でもその深層部に触れると落ち着いた気持ちになり敬意を払います。私は特定の宗教の一員ではありませんが、あるべき姿の高みに連れていってくれるようなすべての流派には支持者でいようと思います。


あなたの本に興味を持ち始めたきっかけは仏教の教えをそこに垣間見ることができたからです。あなたが描写する痛みと向き合うそのような禁欲的な姿勢は、私が『禅の教え』と考えることに他なりません。正式な禅修業を受けたことがあるのでしょうか?


私の作風が禅の教えを喚起させる、と聞いて大変嬉しく思います。多くの方から道教、スーフィー教、ユダヤ教のカバラ、またはキリスト教神秘主義など多くの教えとの類似点を見出した、と寄せられてきました。私自身はストア派または別の哲学派に執着しているわけではなく、単純に人間性の研究をしています。痛みがあれば痛がります。自然なことでしょう?私自身以外の何者にもなろうとはしないようにしています。結果的にそれが禅の教えになるわけですけれども。


あなたは『ニュー・エイジ』派ですか?


もう何年も前になりますが、宗教・心理学・哲学に首尾よくマッチしないジャンルを本屋では『ニュー・エイジ』と名づけその棚を造りました。ポジティブシンキング・シャーマニズム・心霊・ヒーリング(まがい)・オカルト・サブリミナル暗示・アファメーションなどなど・・・こまごましたジャンルをひとまとめにしたような書棚とは自分は距離を保ってきました。


私の作品は伝統的または超越的なことがらに、どのような原則、視点、そして実践を持てば実用的かつ現実的に対処できるか、が主題となっています。『安らぎの心と戦士の精神を秘めていかに生きるか』 --それがテーマです。


今では私も孫がいる年齢になりました。本屋ではついに私の本を『ニュー・エイジ』セクションから『ミドル・エイジ』セクションに移してくれるかもしれませんね。


私は出生年月日を用いて個人の特性情報にアクセスするという手法を示した、人生の目的を探る本、『The Life You Were Born to Live』(「魂の目的」ソウルナビゲーション)の大ファンで、人生の目的を見つけるガイドとして活用しています。ただ、2000年以降生まれた人たちに関してはカバーされていないようにお見受けするのですが、この子たちのことはどのようにお考えですか?


1999年以降に出版された『「魂の目的」ソウルナビゲーション』では巻末にあとがきとしてさまざまなご質問に応えております。そこでは2000年以降に生まれた子供たちの人生経路についても加筆しました。


どんな人生経路がそこに待っていたとしても、子供たちには特別な問題でもプラスのエネルギーで解決できることを指導するのが秘訣です。一ケタもしくは二ケタで示された人生経路は決して良い悪いを示すものではありません。そこに集中して取り組むことを教えているに過ぎないのです。


お勧めの人物はいますか?また情報源としてお勧めするものはありますか?


はい。というのも、人が集まれば一人の能力には到底叶わないからです。または光はひとつでもそれをかかげるランプは無数にある、とでも言いましょうか。ただ、私が共鳴した本や先生が必ずしも他の人にしっくりくるかはわかりません。よって、私のオススメは、自分の奥底に眠る『識者』を信用して直感に従う、ということです。


『ザ・シークレット』や『引き寄せの法則』、または量子物理学で説明される思考の現実化をどう思いますか?


過去のニューズレターに今やニュー・エイジ界では大変人気がある呪術思考や迷信、そしていわゆる『量子的思考』について書いたコメントを載せたものがあります。私のホームページからブログに入り『On ‘The Secret’』のコメントを参照してください。


私はこれまでたくさんの本を読み、数え切れないほど多くのワークショップに参加してきました。でも、どうしても一人の先生に指導してほしいという欲求に駆られます。皆さんは人生の旅路をまっとうするために先生やグル、指導者を必要としないのでしょうか?


確かに一人で修行を続けるのは誤った方向に進む場合もあります。人間は人とのかかわりの中でこそ成長するものですから。本を読んで得ることは多いですが、実際に師に付いて学ぶことは各個人の性質やニーズを自分に合った形で指導して頂ける、という利点があります。仏教や他の宗教で師・教え・弟子との交わりの三つ巴が理想的な学問環境であるとしているのはそのような理由があるのです。ただ、どんなに天才的な指導者でも狂信的な期待を受けると、指導がうまくいかない場合もあります。


ですから学ぶ側が慎重で賢明であることが必要です。心と目を出来る限り大きく見開きましょう。あなたが長いスパンで信用できると思える先生を選びましょう。初めから盲目的に従うことを要求する先生は避けましょう。言葉より師の行動に目を向けましょう。そしてその師のもとで学ぶ他の生徒を観察してみてください。あなたが手に入れたいと思う人生を彼らは送っていますか?彼らは親切で思いやりがあり、無理をしていなく、心身ともに健康ですか?正直でオープンで尊敬できる人ですか?ユーモアのセンスはあるでしょうか?もしそうでなければ他を探しましょう。


私たちが師について学ぶアプローチの仕方は成長段階において異なります。幼少期、青年期、そして成熟期の三段階です。子供は自分を導き守ってくれる親を探し、また自分もよく従うことを望んでいます(先生はこの両親役を喜んで買って出てくれます)。青年期では権威に反発し、ことあるごとに師を疑ってかかります。成熟すると人は知恵を身につけ分別をもって学べるものは何でもどこからでも学ぼうとします。その教えは愚かな人や賢い人、友だちや敵、動物や子供、そして年長者という形になって目の前に現れてくるのです。また私たちは、経験や環境、試練や洞察力を通して学びを得ます。次の話を考えてみましょう。


年若い善武(ぜんぶ)という武士がいました。この武士は身分違いの侍の妻と関係してしまいました。ある日事実が発覚すると、善武は正当防衛ではあるものの妻の夫である侍を殺害し、人里離れた田舎に逃げ、そこに身を寄せるようになりました。仕事もなく、盗みをくり返していた善武はある朝突然閃光が訪れたように知覚するのです。自分が犯した過去の真の意味がわかったのです。自ら犯した罪をあがなうため、彼は人々のためになる善い行いを無心ですることを決断するのです。ほどなくして、歩いている時に彼はあることを思いつきます。崖っぷちに面したその道は大変危険で、大勢の死者が出ていました。そこで彼は山を掘ってトンネルを作ろうと決心したのでした。昼間は物乞いをして空腹をしのぎ、夜になると山を掘りはじめました。30年もの月日が流れ、トンネルは60キロの長さにまでなりました。貫通まで残すはあと3ヶ月ほどとなった頃、善武の前に若い侍、勝男(かつお)が立ちはだかります。勝男はまぎれもなく、遠い昔善武が殺した名高い武士の子息で、父の仇で善武の息の根を止めるためにやって来たのでした。


勝男の刀を前にして善武は言いました。『私の命は喜んで差し上げます。ただ、その前にどうか自分の使命を貫徹させてください』 数ヶ月の間、善武が山を掘り続けるのを勝男は苛立ちを隠せないままただ待つばかりでした。貫通まであと少しとなり、何もしないことに飽きた勝男は善武に手を貸すようになりました。並んで共に作業を続けるうちに、勝男はこの年の入った男の意思と性格に次第に惹かれるようになっていったのです。そしてついにトンネルは貫通し、人の行き来ができるようになりました。


善武は年若い武士に向かって言いました『私の使命は終わりました。どうぞ私の頭を切り落として下さい』。勝男の目からは涙が溢れ、こう言いました。『師の頭を切り落とすことなど、どうして出来ましょうか』と。古いことわざは私たちに次のことを教えてくれます『私たちには友達はいない。敵もいない。いるのは師のみである』。私たちはいかなる形で現れたものにでも、そこに学びを探すことができるのです。

 

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